/違和感ポイント/
僕が「体」というコンプレックスを手放すまでの小さな物語。刃の如く鋭い言葉に背を丸めた過去を提げて、2019年に訪れたフィンランド。“幸せの国”で出会った何気ない言葉に「Ugly(醜い)って何だろう?」とポジティブに自問した。
コンプレックスは、誰にでもある。
「気にしすぎだよ」という優しい言葉にさえ、「君には分からないでしょ」とお粗末な感情が湧き上がってしまう。「乗り越えなきゃ」とは思いつつも、絶対に触れたくない、触れて欲しくない自分の一部。
「コンプレックスなんだよねぇ」と笑って誤魔化せない域の傷が、予兆もなく生活の中で
思い出される“醜い“部分が、誰にでもある。
「男らしさ」に置いていかれた僕
僕が「コンプレックス」という言葉を聞いて、まず頭をよぎるのは「体」だ。僕がかなりの
痩せ型であることは一目瞭然で、やけに細長い手足や狭い肩幅を、183cmという身長が変
に際立たせている。
コンプレックスの種は意外と自覚していないことが多くて、これに気が付いたのは中学校
の終わり頃。それまではプールも大好きだったのに、「男子はここで着替えてな」っとい
う先生の言葉に、無意識にため息をついていた。
同級生の体つきも顕著に変化を見せるこの時期だったけれど、逞しくて骨格のがっちりと
した「男らしい体」なんて僕にはやって来なかったのだ。部活のチームユニフォームも、
短いズボンが細い脚を一層際立てて、少しずつ恥ずかしくなっていた。
高校に入ってからは、体育の前後の着替えのタイミングともなると、誰もいない瞬間を待
つか、無人の教室に忍び込んで大慌てで着替えた。服を脱いだ姿になるのは上半身が2
秒、下半身が3秒のひとり珍競技だ。
男子の必修だった柔道なんて、考えるだけで1週間が憂鬱。そんな僕を他所に、周囲はど
んどんと「男らしさ」に拍車を掛けていき、それと並行して「痩せすぎ」という言葉を投
げられる頻度も増えていった。
そして、その言葉を浴び続けながらも「そんなこと分かってるよ」と言い返す強さもな
かった僕は、それをコンプレックスとして迎え入れる他になかった。何度かなら笑って流
せる言葉も、日常化するとじわじわと心に根を降ろし始めるのだ。

体を晒すことは、地獄でしかなかった。
容姿への言及が鳴り止まぬ日常の中で、上手く蓋をしていたはずの過去もいつの間にか掘
り起こされた。
小学4年生の頃、転校先の小学校で僕は“しくった”。田舎から出てきたばかり、ただでさえ色眼鏡で見られる転校生という立場でありながら、僕は新しい環境に順応できず、“虐め”というものを経験した。
小学生という小さな世界の住人にとって、転校生はいつだって異星人であり、多くの場合
は標的なのだ。
当時から既に青白く細長かった僕は、そこに付け込まれた。いじめっ子は“暇つぶし”の切
り口にそれを選んだに過ぎず、その手持ち無沙汰が刻んだ醜い傷のことなんて知らん顔。小学校卒業と同時に再び引っ越しをしてからは、その傷も徐々に姿を消していった
…はずだった。
トリガーとは不意に訪れるもので、「男らしさ」に置いていかれた高校生活がそれを掘り起こしたのだ。何気ない「細い」という言葉たちはゆっくりと根を下ろし、とうとうそのトラウマにまで侵食していった。
ーーそんなの後付けだ。
そう言い聞かせて、何度も否定し続けた。
目をそらしながら。
耳を塞ぎながら。
それでも、ダメだった。
全然ダメだった。
何度も何度も、小学生だった時の気持ちが生々しいほど鮮明に蘇る。浴びせられた鋭利な
言葉、机に書かれた落書きが、シングルペアレントの母が買ってくれた新品の洋服にかけ
られた冷たい水が、全て溢れ出た。止まらなかった。
そして、その経験の全てを「青白く細長い自分の体のせいだ」と感じてしまった。
思ったのではない。そう感じたのだ。

大学に入ってもそれは変わらずで、ゼミ合宿では他の男子がお風呂に行くのを後ろから見
送っていた。本当はくだらない話をしながらぶら下がって行きたかったのだけれど、恐怖
がそれに勝った。
腕を掴みながら「めっちゃ細いねぇ!ひょろひょろじゃ〜ん」なんて言われれば「え、キ
モっ。死ねよ」に聞こえるし、初めてできた恋人に「私より細いねぇ!」と太ももを掴ま
れた際には、恐怖心から吐き気さえした。
体を晒すことは、地獄だ。
それが僕にとって「細い」が意味するところなのだ。
舞台は変わって
ーー大学4年生の秋、僕はフィンランドの首都、ヘルシンキにいた。
急に海を渡ったが付いて来て欲しい。イギリスをふらふらと旅していた僕に、友達の
ヴィッレが「今はフライトも安いからおいでよ!」と声をかけてくれたのだ。
彼のアパートに入り浸っていたある朝、目を覚ますと彼がオーツミルクを注いだ珈琲を
持ってきてくれて、子どものような笑顔でこう言った。
「フィンランドっぽいこと、しようよ」
そう言って見晴らしの良い部屋の窓から指差した先には、海辺にあるウッド調の建物が佇
んでいた。
…サウナだ…
「サウナは必須だよ!」と行く前から念押しをされていたのだけど、もちろん乗り気には
なれなくて、正直はぐらかしていた。
けれど、仕事の合間を縫ってのお誘いを断るなんて、そんな不躾なことは出来っこない。

あれよあれよとことは進み、ヴィッレの仕事が終わった午後に現地集合。
ヘルシンキに降り立った夜にパーティーで紹介してもらったヤスミンが先にやって来て、
二人でしばしの間、雑談をした。普段からすっぴんが多いらしい彼女だけれど、表情の豊
かさ故か、とても華のある人だ。
「ここのカフェのサラダが衝撃的な美味しさなの!」と熱弁する彼女の話し声に少し緊張
がほぐれたけれど、頭の中は正直、この後のことでいっぱい。
ましてや、ヴィッレはモデルの仕事をしている。街に大きなポスターが貼られているよう
な人の横に並ぶだなんて…
そんなことを思っているうちに彼が遠くから手を振ってやって来た。「お待たせぇ。気に
いってくれるかなぁ」とニコニコの彼。
とうとうだ…
「ここなら大丈夫」と言わんばかりに。
清潔感のある脱水室には細長いロッカーが5メートルほど続いていた。
ユニセックスの場所もあるらしいけれど、ここは男女で更衣室も別れている。そうそう、
ヘルシンキでは比較的新しい建物だと、お手洗いも男女で別れていないんだよ。
10代と思わしき若者からお年寄りまで、程よく混み合った更衣室で恐々と服を脱いでパン
ツ一枚になる。
「ほっそいねぇ」くらいは言われるだろうと覚悟をして、防御体制に入るための深呼吸を
一つ。
「どうしよう、顔が引きつってるのなんて見たら立ち直れないよ…」
北欧という遠い土地にやってきてもなお、小学校の小さな教室が脳裏をよぎる。そんな
気持ちを涼しげな顔で必死に隠して、更衣室を出た。
…ところが、ヴィッレは何も言ってこなかった。
あれ?
「ヤスミンが待ってるよ。早く~」
「え、あ、うん」
水着に着替えたヤスミンと合流して、3人でシャワーを浴びる。
「ヴィッレも慶も準備万端だね。今日は意外とあったかいから楽しめると思う」
「え、あ、うん。よ、良かった」

サウナで汗を流したらプールや海に入って、それを繰り返すのがフィンランド流。9月とい
えど、日本育ちの僕には、気温8°Cの曇り日に海に飛び込むのは正気の沙汰じゃない。
「意外とあったかい」とは…
少しでも骨が浮き出ない姿勢をと工夫した努力も虚しく、あまりの寒さに背中を丸める。
身震いする僕を見て笑う2人の声が、ヘルシンキの夕空に響いていた。
笑っている…僕を…けれど、この傷を作った笑い声とは違う。
温かい。
笑い声が、温かい。この笑いが帯びているのは、この瞬間を友人同士で楽しむピュアな響
き。それだけだ。
「これでやっと『フィンランドへようこそ!』って思えるよ」
ヴィッレは海へ飛び込み、それにヤスミンが続き、僕を手招きしている。まるで「ここなら大丈夫だよ」とでも言わんばかりに。
ヴィッレ「This is so cool!!(すっごく良い気分だよ!)」
ヤスミン「This is so refreshing!!(すっごく頭がスッキリする!)」
僕「This is so insane!!(すっごく頭がおかしいよ!)」
僕らの会話を聞いていたスタッフが思わず吹き出す。
僕の心は少しずつ、ぎこちなく、ほぐれ始めていた。
(いやめちゃめちゃ寒いんですけどね…)

“Ugly”って何だろう。
その後も何度か海とサウナを行ったり来たりして、プールの中でお喋りに花を咲かせた。
普段の生活のこと、僕が出会う前のヴィッレのこと、ヤスミンがインドを巡っていた頃の
こと。色んなことを話した。
「あの建物は最近できたんだけど、ブサイク(ugly)だよね」
何気ない会話の中、ヤスミンが眉に皺を寄せる。「ん?どれ?」と尋ねる僕に「あれだよ。
正に“ugly”だよ」と長い髪をかき上げながらヴィッレが答える。そして「何よりharmonise
(調和)されていない。そう思わない?まぁ、もちろん調和してれば良いって話でもない
んだけどね」と続けた。
綺麗な建物だ。言われてみればなんとなく他の建物と喧嘩をしているけれど、ピカピカで
整っているとも説明できるあの建物が、2人には醜い (ugly) のか。
ハーモニーを奏でることをしない姿勢が、視覚的な特徴のよりも、“ugly”の物差しになるのか。
自分の中で凝り固まったものが、グラグラと揺らぎ始めた。
幾多の地を旅して、色々な人たちと時間を過ごしてきた2人は、決して多様性を恐れるよ
うな人達ではない。ここでいうハーモニーも「空気を読む」や「一緒くたにする」ではな
く、「美しく共存する」ことなのかもしれない。深読みかもしれないけれど、そんなこと
を思った。
ーー“Ugly”って何だろう。
馬鹿にされないように、後ろ指を刺されないようにして怯えたいたのは、僕がいた小さな
世界の“Ugly”に、たまたま僕が当てはまったからだったのかもしれない。
いじめっ子に対して僕が攻撃的だったことは一度だってない。「美しく共存する」なんて
綺麗なものじゃなくても、「お前も~じゃないか」なんて相手にコンプレックスを与えて
反撃したことはない。
少しエゴっぽいけれど、そういう意味で、あの日の僕は“Ugly”ではなかったんじゃないだ
ろうか。そう思った。その時はじめて、極寒のプールの中で自分で自分を肯定できた気が
した。
「そうだね、確かにブサイクだ。すっごくね」
息をゆっくりと吐きながら答えた僕は、仰向けになって水に浮かんだ。肋骨が目立つ姿勢だ。空を覆っていた曇が少し透けて、その存在が確認できる程度の僅かな光が空に浮いていた。


※本記事は2020年4月8日にnoteに掲載された 「フィンランド紀行 「自分の体が嫌い」な僕は、”理想郷”のリアルに勇気をもらった。」の記事を再編集したものです。
執筆者:林慶/Kei Hayashi
編集者:清水和華子/Wakako Shimizu